せこ歯科クリニック

診療理念

みなさんにとっての最後の歯科医院になれるように・・

「せこ歯科クリニック」は個人医院として2005年10月1日開業しました。開業初日は14名の患者さんにお越しいただきました。周囲は稲刈りが終わり、もみ殻を燃やす田舎独特のにおいがしている秋晴れの土曜日でした。

創業者の世古武嗣(せこたけし)は、歯科医師の第一歩を三重県津市の歯科医院でスタートしました。それまでの模型や練習とは違い、実際の患者さんのお口の中を削るのは全く違いました。

本当に自分はこの仕事ができるのだろうか・・。

不安で夜も眠れない日々が続きました。

麻酔も何度も何度も練習し、患者さんへどのように説明すれば伝わりやすいかを夜中まで模索し説明の練習もしました。また、患者さんに若年者とみられるとそれだけで、「技術不足ではないか」とどうしても患者さんに嫌がられるため、なるべく老けてみられるように眼鏡や貫禄ある体系作りに励んでいました(笑)

津市の師匠の先生は、その当時40歳半ばで説明・治療 何をしても超1級品で私が休みでも練習の為に医院を開けていただき練習を重ねました。それでも少しも上達せず、患者さんからは、

「あの新人の先生次回からやめて」と何度も言われ続けました。

しかしその院長先生は私を叱ることはなく、頑張れと励ますことなくただ、もくもくと超1級品の歯科治療を見させていただきました。

その当時年1回、院長先生との食事会がありました。その時は緊張して夜も眠れませんでしたが、いくつも私が良くなるアドバイスをしていただき、すごく幸せでした。
そのような日々を4年ほど経過した食事会の時に師匠の先生は

「世古、もう抜歯はこの辺では一番やと思う。〇〇先生よりもうまいぞ」
と言っていただいたその言葉は、私を励ます"ウソ"だったのかもしれませんが今でも私の心に深く残っています。

その後歯周病治療で有名な「熊本県天草の歯科医院」で初代の勤務医として務めさせていただきました。 そこで、全国の有名歯科医師の先生に多く出会うことができました。そして私の休みを利用して青森県から鹿児島県までの有名歯科医院を見学に回りました。

「どうしてこの歯科医院がこんなに地域の皆さんから支持されているのか」「最新の治療情報」を知りたくて休みのたびに見学のお願いして全国飛び回りました。

その後、私のように歯医者嫌いの皆さんに寄り添える歯科医院をどうしても創りたくて地元の多気町で開業いたしました。その時は30歳でした。スタッフは正社員2名パート1名でした。

開業後想像以上に多くの患者さんにお越しいただきました。

それに伴い全国の歯科医院の先生が当医院に見学に来ていただくことが多くありました。北海道や九州からもお越しいただきました。しかし、診療がとにかく忙しく折角お越しいただいたにも関わらず、一言二言お話するだけという、大変失礼な見学となっていました。

また、開業当初は電話転送を行い医院の電話は休み・深夜問わず私の携帯に転送されました。そして深夜・休日関係なくできる日は診療を行うそのような日々を3年ほど続けました。
休みには日々新しくなる歯科技術のセミナーや、雇用をどのようにしていくのかなどの経営のセミナーに通い年間数日しかしっかりとした休みを取らず気付けば40歳になっていました。時には講師として講演会でお話することも増え益々時間が無くなってきました。


そして今、49歳になりもっと最新の技術・医療機器をここ多気町で使いこなしたいとの決意で、現在東京で再び修行をしてもっと地元多気町に還元できるように研鑽を積んでいます。現在、医療法人社団せこ歯科クリニックは50名を超えるスタッフが勤務しています。

院長の渡部先生・副院長の福田先生は、私が師匠と慕った津市の先生と同じ40歳となり、歯科医師として最高に脂が乗っています。また、勤務する歯科医師は全員10年を超えた経験があり、インプラント・矯正などの高度な治療をこなし、開業20年に向けもっと丁寧な説明・確実な治療ができる歯科医院へと大きく変わろうとしています。

「みなさんにとっての最後の歯科医院になれるように・・」

をスローガンに皆様のご期待に応えられるよう不断の努力で頑張ります。

変わらないもみ殻の煙のにおいを感じながら
創業者 世古武嗣 2024年1月