せこ歯科クリニック患者様が「来てよかった」と笑顔になれる医院であるために私たちは全力を尽くします。口を通じて患者様の健康をサポートし、感動を共有できる歯科医院を目指します。

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理事長・院長 世古 武嗣(せこ たけし)

理事長・院長 世古 武嗣

なるべく歯を抜かず なるべく削らず......もう患者さんが歯の痛みで苦しむ姿を見たくない。
そんな思いで精一杯治療をいたします。
あなたのホームドクターになり安心、安全、誠実な医院であり続けるため、日々、研鑽に励んでいます。
これからも患者様もメンバーもみんなが来たいと思える医院を目指し不断の努力をし続けます。

資格・認定医
・国際歯周内科学研究会会員
・日本口腔インプラント学会会員
・京都インプラント研究所会員
・日本歯科審美学会会員
・ほんだ歯科提携クリニック認定医
・REALIZED DREAM COMPANY会員
私のものがたり ∼世古 武嗣
ソフトボール

思い起こせば・・・物心ついた頃より、父親の影響でソフトボールにのめり込んでいました。

その頃、私の父親は南島町で『河昇』(かわしょう)という小さいスーパーを経営していました。
いわゆる団塊の世代で、父親は朝4時半に家を出て、夜遅くまでと仕事仕事の毎日でしたが、唯一休みの日曜日だけは、兄と私を近所の神社へ連れて行き、ソフトボールの練習に付き合ってくれました。

夕方、ボールが見えなくなるまでしっかりと 特訓??遊び??をし、家に帰るとお酒が飲めない父親と、兄と私で、麦茶で乾杯!!
特訓の満足感に浸りながら・・・おいしかったこと、おいしかったこと。
まさにこの一杯のために!というところでしたね。

小学校の高学年になるとクラブ活動が始まり当然のようにソフトボールクラブに入りました。
私が通っていた射和小学校のチームは、数年前までは誰も知らないような弱輩チームでした。それが、名監督(小学校の先生)の就任と同時に松阪市内屈指の強豪チームに生まれ変わろうとしていました。

時代が来た! いつも一緒に鍛錬?!を続けてきた2歳年上の兄は、なんとそのチームのエースとなり、松阪市の大会ベスト3に入る成績を残し周囲を驚かせたのです。
その翌年もベスト8まで勝ちあがり、三度目の正直!わたし達の学年で、ついに狙えるか・・・?!と周囲の期待をさらいました。

何しろ当時TVでは"スクールウォーズ"が放映され、毎年、(108-0とまではいかないですが)一回戦負けが当たり前だった小学校が、名監督就任1年目からベスト3、2年目ベスト8という快挙!周囲も自分たちもどこかでこの高校ラグビーと重ね合わせてしまっていたのは言うまでもありません...

私は、朝は始業開始1時間前に学校に行き、鍛える為にソフトボールに釘を10本程打ち込み重くしたボールで投げ込みを行い、夕方はボールが見えなくなるまで本当に真面目にしっかりと練習行ないました。
その甲斐あってか、セカンドを担当し、エースまではいきませんでしたが3番手くらいのピッチャーになりました。
ユニフォームもその年から新調され、なにか期待の大きさを子どもながらに感じました。


もう20年程前になりますが、忘れもしません。
小学校最後の夏。ついに松阪市の大会が始まりました。
まるで高校球児のように真っ黒に日焼けした私たちは、周囲の期待を背にうけ、なんとも言えない緊張感の中で試合に挑みました。

一回戦。『まぁ、初戦は楽勝だろう!』と誰もが信じていました。
それが・・・結果、一進一退の末、敗戦・・・。
しかも、最終回リリーフをした私が、運の悪いことに敗戦投手になってしまったのです。
"何が起こったのか??"衝撃のあまり、どうして負けてしまったのかもう訳が分からなくなりました。
"悔しくて悔しくて・・・"しばらく涙が止まりませんでした。
挫折というのを生まれて初めて味わったのもこのときでしょう。

周囲のみんなに励まされ、泣くだけ泣いて、自分でも何とか納得をし、その後は、徐々に今までチームでやってきたことへの達成感と、すがすがしい気持ちをもつことができました。

ソフトボールは、精一杯物事をやり遂げた後の達成感、その後のなんとも言えないすがすがしい気持ちを私に教えてくれました。
それは、その後の私の生き方にも大きく根付き、大学への進学、国家試験勉強、開業・・・と現在の自分に結びついているのではないかと思っています。


父親はスーパーを経営していましたが、家庭自体はごく普通で、歯科大学へは奨学金を受けて行っていました。
苦学生だった大学時代は、あまり大学の友人と飛び回って遊ぶというようなこともなく、(今思うと寂しいですね...)
臨床実習の前までの5年間は、
本当にコツコツと学校とアルバイトの往復に励んでいました。
(真面目ですねぇ...)

カレー

偶然、近所にあった飲食店でアルバイトを始めましたが、
そこでは入社??前には想像もつかない位多くの事を学びました。
勤務先は大手飲食チェーンでした。
まだまだ子どもの私にとっては、色々な大人の方々がいて部活のようでもありました。

アルバイト先は深く考えず、『ご飯が食べれるから飲食店がいいかな?!』などと、メープルシロップのように甘い考えでした。
し・か・し、偶然勤め始めたその店は、かなり繁盛しており、目の回るほど忙しいお店でした。
そして、徐々にその厳しさを思い知ることに......

巨大な飲食店はどこでもそうだと思いますが、多くのマニュアルがあり、
それを時間を見つけては読み、研修のビデオを何度も見たりして、
ひよっこだった私も、気づけば 皿洗い⇒接客⇒厨房 とステップアップし、
いつの間にやら厨房の最年長になり、どんなメニューでも出せるようにまでなりました。

しかしその前には、数多くの失敗もしました。
お客様をものすごく怒らせてしまったり、高価なお皿を割ったり、電子レンジを壊したり、
忙しいピーク時間に消火器を誤って作動させ厨房が地獄絵図のようになって数万円分の商品を無駄にしてしまったり....(汗)
(当時のスタッフの皆様本当にすみませんでした。)

ある日...当時担当のSV(スーパーパイザー:地域の統括責任者)から真剣な顔で『せこ君、正社員にならない?』と言われ、かなり驚きましたがすごく光栄でした。
また、業務の更なる向上のため全国の正社員とアルバイトを全て集めた"接客 ライス盛り大会"というのが、年に一回開催されていました。
私は、予選会を勝ち上がり、「ライス盛りの地域の代表として出場するか?」
(すごい名称ですが・・・)、とお声をかけて頂きましたが、タイムリミットでした。
ついに、臨床実習が始まり、アルバイトも終了しなければならなくなり、泣く泣く辞退させて頂きました。
小さな出来事ですが、自分がなにか認められた気がして心から嬉しかったてす。

もう、20年以上前の経験ですが、あの頃一緒に働いたスタッフともまだ連絡を取ることもあります。
それぞれのステージで頑張っている話しを聞くと心から嬉しく、私も頑張ろう!と気持ちを新たにできます。